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TK's room: Message 10「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、・・・」

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みなさんこんにちは。TKです。「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ」は、『聖書』「イザヤ書」第53章に書かれています。キリスト教徒にとっては、この「彼」とは、イエス・キリストのことで、旧約聖書の「イザヤ書」で、新約聖書のイエス・キリストについて先取りされている(つまり、預言されている)と解釈します。 イエス・キリストが私たち人間の罪を、かわりに背負って神の生贄となられた、そのおかげで、私たちは許されているのだと信じるのがキリスト教です。 しかしながら現実には、細かいところで意見や解釈の相違があり、世界中に多数の(無数とは言わなくとも)キリスト教の教派が存在し、時には対立しています。 TKは、この対立が気に入らなくて、愛や平和を説いているのに、なぜキリスト教界では対立が起きるのだろう・・・とキリスト教に対して不満でした。しかしながら、前稿(Message 09)で記した、TKに話しかけてくれたアジア系女子学生の友人(彼女は英国人だった)から、細かい相違はさておいて、イエス・キリストが私たち人間の罪を、かわりに背負って神の生贄となられた、という一点をかなめに、教派にかかわらず集会を持っている教会があるから一緒に行きましょう、ということになり、11月の寒いある日、その教会に行きました。寒いのに手袋を忘れて、ポケットに手を入れながら歩いたのを今でも覚えています。

TK's room: Message 09「・・・そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」

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みなさんこんにちは。TKです。「・・・そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」は、『聖書』「創世記」第24章に書かれています。この言葉は、アブラハムという人の年長のしもべが語ったものです。このしもべは、主人のアブラハムの息子イサクのお嫁さんを探すために、アブラハムの故郷に遣わされました。物語風に軽く読んでしまいがちですが、ここで少し考えてみましょう。もし、自分がこのしもべの立場だったらどうでしょう。主人の故郷とはいえ、多くの女性の中からお嫁さん候補を選ぶなど簡単ではありません。アブラハムという人も結構無理難題を言いますね。しかし、「創世記」では、神の御手が働いて、しもべはリベカという女性と出会います。出会いとは不思議なものですね。TKは24歳の時英国に留学しました。様々な人と出会いました。渡英後一年経って、夕焼けを見ながら歩いているとき、英国でいろいろな人と巡り合ったなあ・・・、英国に来ることは自分の決断だったけれど、誰に出会うかということまでは逐一計画していなかった、人との出会いというのは、自分の決断とは違うところでの出来事なのかなあ・・・、もし神が働かれる領域というものが仮にあるとするならば、その領域の一つは、人との出会いなのかもしれないなあ・・・、と思いました。その瞬間、Excuse meと後ろから呼びかけられました。アジア系の20歳ぐらいの女子学生が立っていました。彼女が言うには、神様から、あなた(つまりTK)に話しかけるように言われたので、話しかけているの、ということでした。